くるりはなんで懐かしい?

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くるりというバンドを一言で言い表すのは難しい。曲のモチーフは青春の蹉跌と、ノスタルジーを感じさせるものが多い。電車(特に赤い電車京急)、カレー、祭り、ゲーム、水中モーター、りんごあめ、六地蔵、尼崎の魚。ブリティッシュ風味でビートルズが色濃く漂う楽曲が多いが、アプローチはオルタナティブ・ロック風で、曲の仕上がりはウェルメイド。音については、はっぴいえんどに端を発する和ロックの伝統に連なるたたずまいの、都市のなかにあっても漂白されきっていない、アコースティックイズムとアナクロニズムもあれば、それを払拭していくことによって成立したようにも思える90年代以降のいわゆるJポップにはない地方的「いなたさ」も内包しているし、ときにケレン味のあるオリエンタリズムも発揮するし、サブカルチャーへの目配せも見せるし、ギンギンのループ系打ち込みエレクトロも炸裂させるし、音響系の実験的なサウンドも試すし、クラシックの意匠を施すこともある。アルバムごとに作風が違うし、バンドメンバーも最近ではすっかり変わってしまった。ただ、その原点にあるのは、やはりファースト・シングル「東京」(1998)だと思う。思いたい。個人的には、この曲をよく聴いていた、語学研修先のフランス・ルーアンの風景、曇り空の下で夏でも長袖シャツが必要だったことを思い出したりして、全然「東京」でなかったりするのだが。

くるりが好きで、しかも東京出身というファンをしばしばおちょくってみる。「でも、『東京』の気持ちはわからんよねえ」と。もちろんアートは誰に対しても開かれている。特定の層にしかアクセスが許されていないものはアートとは認識できないだろう。ここでの「開かれている」というのは解釈が無限ということよりむしろ、作品との出会いとコミュニケーションが限りなく様々に豊かになりうるということだ。東京出身者が聴く「東京」と、熊本出身者が聴く「東京」は違う。東京出身者が「東京」を感じるためには、ある種の迂回が必要であるように感じる。要は、歌詞の「東京に出てきました」を、東京出身者はそのまま享受することができないだろう、そのようなものであるからこそ「東京」のような表現が出てくる。「東京に出る」こと自体は、近代日本人にとっては遍在する共通認識、ほとんどミームとも言えるだろうが、逆説的に東京出身者が一旦ということであってもそこから締め出されるのはおもしろい。通常疎外されるのは東京外の人々だからだ。

アメリカの上京(上ニューヨーク)ソングに、サイモン&ガーファンクルの「America」がある。テーマは似ているが、歌われるのはあくまでミシガン州発の、だんだん倦怠感の増していくとあるカップルの旅の行程であって、ニューヨークの手前、ニュージャージーの高速道路の自動車を歌い手が数えているところで曲は終わる。ニューヨークという単語はこの曲に出てきさえしない。彼らは「To look for America」、アメリカを探しにニューヨークを目指して東進しているわけだが、この曲におけるアメリカはニューヨークではなく、歌詞にあるような、彼らの気だるい、広さのゆえにほとんど果てしないと思われるような移動、それ自体なのだ。あるいは西進(ゴー・ウェスト)精神の下、フロンティア開発でつくられた国を巻き戻しとして東進することで、その起源をたどっている(からこそAmerica)と見ることもできる。“Kathy, I’m lost”, I said, Though I know she was sleeping. “I’m empty and aching and I don’t know why. ”「キャシー、迷子になったみたいだ」僕は言った。彼女が眠っているというのはわかってたんだけど。「僕は空っぽな気がして苦しいんだ。それがなぜなのかわからないんだよ」

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対して、日本で「日本」という曲がつくられるとは考えにくい(あるかもしれないけど)。では、どういう曲がつくられるかと言えば、「東京」だ。明治維新以降の富国強兵のための、また終戦以降の復興のための強烈な中央集権化、すなわち政治、経済、不動産、メディア、あらゆる産業の中枢、文化資本の東京への集約と、そこからの制度、流行、言語、そして普通(=コード)の産出の流れは、わけのわからない東京という都市自体と、ほとんど東京=日本という価値観をつくりあげた。だから、焦点化されるのは東京であり、それを語る視点とナラティブは否応もなく東京を含む、あるいは前提としたもの(いわゆるエピステーメー)になり、一方で、ある種の相対化として「東京」という曲がつくられる(あるいは『東京物語』)。「東京の街に出てきました」。狂騒的な街にたたずみ、耳をすます。「あい変わらずわけの解らないこと言ってます」。今度は自分を顧みる。「恥ずかしい事ないように見えますか」。「標準」語であれば「恥ずかしくないように見えますか?」になるはずだ。

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歌詞の語り手は上京したばかりの「ストレンジャー」だ。岸田繁くるりのバンドリーダー・作詞/作曲)はストレンジャー(場違いなヤツ)という言葉や立ち位置に思うところがあるのだろう、ファースト・アルバムは『さよならストレンジャー』で、同名の曲が収録されている。The Doorsの「People Are Strange」の歌詞、“People are strange when you are a stranger”(「あなたが場違いであるときには、人々は奇妙に見えるさ」、もっとつっこんで意訳すれば「あなたが正気であるとき、他人は狂っているように見える」)に代表されるように、strange(おかしい/場違いである)、またstranger(場違いの者/迷う人)はロックに欠かせないキーワードであるとも言える。

ストレンジャーの東京への慣れなさと寂しさ、やるせなさは、(岸田のこの曲であれば、彼の出身地である京都ということになるだろうが)地元と当地での思い出、そのなかに住むひとを避けがたく呼び込んでしまう。「駅でたまに昔の君が懐かしくなります」。東京と「もうひとつのもの」に引き裂かれてあること、それがこの曲の根底にある。そして、そのもうひとつのものを描くことこそが、実際の東京をシーナリーとして描写するよりも逆説的に、はるかに東京を描くことになりうる。なぜなら、現在の東京はすでにストレンジャーのまちだからだ。

続く段は「雨に降られて彼等は風邪をひきました」ではじまる。突然「彼等」と言われても困る。「彼ら」というのは指示代名詞(あれ、これ、かれ)の複数形で、複数の誰かを指しているのわけだが、登場人物は「語り手」と「君」しかおらず、これが「語り手/一人称=僕」と「二人称=君」であれば、本来は、一人称の複数形である「僕ら/私たち=我々」になるはずである。ここで「彼ら」と三人称の複数形でエピソード的に描写されているのは、「僕」と「君」のふたりがもう「僕ら」で語られる関係性から離れていることをより強く感じさせるための措置だ。つまり、「僕」と「君」は、昔は「僕ら」だったが、いまでは「彼ら」、要は、ふたりはすでに別れてしまっている。いまもつきあっているなら「雨に降られて僕らは風邪をひきました」のほうが自然だし、別れてしまっても「僕ら」で意味は通る。しかし、自分たちを第三者の視点で語ることで、ふたりの関係性が終わって、それがもう遠い出来事になってしまったのだということを印象づける。この「遠さ」は、時間だけでなく、地元と東京との距離も含められる。

ところが、次の歌詞は「あい変わらず僕はなんとか大丈夫です」と続き、「ん?」となる。「よく休んだらきっと良くなるでしょう」。ほんとにいま現在、風邪ひいてるじゃん! 「今夜ちょっと君に電話しようと思った」。結局、東京にいる語り手は雨のせいで風邪をひき、かつて地元で恋人といっしょに同じ理由で風邪をひいたことを思い出し、彼女が懐かしくなってしまい、電話してしまおうかと迷っている、と解釈される。過去の雨と現在の雨が接続されている。なぜわざわざ時間感覚を乱すような語り方をするのか? これはのちのち説明する。しかし「相変わらず僕はなんとか大丈夫です」の大丈夫でなさといったら。この「相変わらず」も何気ないが利いている。これは連絡がだいぶ滞っていたときにしか使わない語り口だから。

続くサビはすべて「事」で終わる体言止め。「事」がどうなのか、言えない、言えないからこその歌、ということを強く感じさせる部分だ。「君がいない事。君と上手く話せない事。君が素敵だった事。忘れてしまった事」。ふとした瞬間に心に到来してしまい、離れてくれない思い。話したいのに君がいない。いないなら電話してみようか。電話しようにも上手く話せはしないだろう。思い出にすがるほかない。そのなかで忘れてしまったことはあるだろうかと記憶を探ってみる。どうしようもなく、とめどもなく思いが巡りながら、もう彼女に対してなにもできない。事実上の関係が終わってしまおうと、心を処理することなどできない。

「話は変わって今年の夏は暑くなさそう」。暑くはなさそうだが、「季節に敏感にいたい」。季節に合った「飲み物を買いにゆく」。そして「ついでにちょっと君にまた電話したくなった」。1998年リリース当時、携帯電話はまだ普及していない。ここでの電話とは公衆電話のことだ。僕も世紀末、受験のために上京した際、やはり馬車道の公衆電話を利用した(そして財布を電話の上に置きっぱなしにした)。この節は、まるで電話をしたくなるために逆算的に論理を積んでいっている。夏→今年は暑くない→けど季節には敏感にいたい→季節の飲み物を買いにいく→ついでに君に電話したくなる、ではなく、君に電話がしたい→飲み物を買いにいけばついでを口実に電話ができる→飲み物を買いにいくのは、ええと夏ですからね、季節には敏感でいたいですからね。つまり、彼女に電話がしたい、したいがそれを認めたくない、という心理がある。「話は変わって」いないのだ。

クライマックスは電話をする寸前まで逡巡している。「東京」のプロトタイプが「もしもし」というタイトルであることを考えれば、岸田にとって電話というものがいかに切実なまでに重要なモチーフであるかがわかる(余談だが、これを英訳すれば、Hello, It’s me.というところで、これはトッド・ラングレンの1972年の名曲のタイトルになる)。「もしもし」から「東京」に変更されたのは、デビュー/代表曲としてのカタマリ感に欠けていたからということもあるだろうが、電話がかけられないのに「もしもし」できていたらおかしいのだから実に筋が通っている。そして、もしもしできないこと自体が岸田にとっての「東京」だったのではないか。

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「君がいるかな。君と上手く話せるかな」。話せるわけがない。おそらくは東京に出るために置いてきたであろう女の子と上手く話せるわけがないのだ。上手く話せてはいけないのだ。ストレンジャーが東京での疎外感から逃れ、救われるためのよすがは、皮肉にもすでに地元に置いてきたあの子にしかない。しかし、彼女に頼るのはあまりに都合がよすぎる。踏み込んで言ってしまえば、それは人間としての公正さを欠くということだ(こうしたモチーフは村上春樹の初期の小説にときどき現れる)。自分で橋を焼き(村上表現)、電話のラインを切ったはずだ。「まぁいいか」とためらい、あきらめようとする。「でもすごくつらくなるんだろうな」。それでも、思い出すのをやめることはできない。話をすることのほとんど代償行為として「君が素敵だった事。ちょっと思い出してみようかな」。つらさが増すだけなのに。歌詞として掲載されていない最後の部分は悲痛な叫び、その三回の繰り返しはもう叩けないドアに強くノックしているかのようだ。「思い出してみようかな。君がいるかな。君がいるかな。君がいるかな。君と上手く話せるかな」。ささくれだった気持ちに呼応するような、ロックそのもののようなディストーションのきいたやるせないギターに、「パーパーパ、パラッパー」の流麗とはほど遠い、ロックそのもののようなコーラスが重なって曲は終わりを迎えていく。

くるりを語るときに欠かせない言葉として「懐かしさ」がある。これは単に先に並べたようなモチーフ(電車、e.t.c.)が喚起させるイメージだけではなく、その時間感覚によるところが大きいように思われる。「東京」はそれをよく表している。さらに、くるり・岸田の時間感覚について、他の曲を引きながら読み解いてみたい。

サード・アルバム『TEAM ROCK』(2001)収録の「カレーの歌」は「カレーの香りは君と同じで/やさしくて小さくて忘れてしまいそう」ではじまる。ここでのカレーの香りというのは、一般的なカレーのものではない。なにせカレーの匂いというのは強力で忘れがたい。この曲のそれは、かつて誰かのつくってくれた、特定の、個人の、大事なひとの、かけがえのない大切なカレーの香りなのだ。それはとある男について言えば、「Y子風夏野菜のカレー」だ(カボチャがルーに溶けすぎていた)。しかし、それは遠く過ぎ去ってしまっている(「さようなら、愛してる」)。だから、もう小さくなりつつあり、忘れてしまいそうなのだ。しかし、「忘れない? 忘れるよ、これからもずっと」。これからもずっと(何度も)忘れるということは、けして忘れられない、ということだ。「タバコをやめるのは簡単だ。私は何度もやめた」というジョークのレトリックと同じだ(初出はマーク・トウェイン)。

「忘れる/忘れない」は「東京」でも同じだが、それは単に、「忘れないことが大事」というようなありきたりなメッセージを意味するのではない。過去は過去にだけあるのではない。記憶の忘却と再生、過去が現実と、現在の人間に同時的に(リアルタイムに)内包されているような瞬間。それは繰り返される。そうした瞬間にふと入ってしまっている人間というものを感じさせるからこそ、その無意識の運動性があるからこそ、くるりは古いのではなく、懐かしいのではないか。我知らず振り返ってしまう見苦しさこそ、くるりの魅力ではないか。「君」と「さようなら」したのに、「東京の冬は今日も寒すぎて/マフラーを君と同じに巻いてみる」。恋愛というのはどこで終わるのだろうか。気疲れするとため息をもらさずにはいられなかったとある男に「やめて」と懇請した女の子。別れてずいぶん経っても、まだため息をためらっている。

現在の時間を過去が侵食し、両者が混ざりあい、判別できなくなる。それはつきつめれば、夢と現実を混同してしまう子どもの時間感覚だ。4枚目のアルバム(最高傑作)『THE WORLD iS MiNE』(2002)の6曲目に「水中モーター」という曲がある。「マブチの赤い水中モーター」はある年齢層より上には子ども時代を思い出させる玩具で、それだけで懐かしさを催させるものだが、子ども感を感じさせるのはそれだけではない。おかしみのある曲調がひとつ。水中が羊水のメタファーとなることもそうだ。声に、水中でしゃべっているようなエフェクトがかかったりもする。子ども自身のしゃべりも入っている。そしてなにより、7分もある曲の大部分を占める、冗長なまでに延々と繰り返される単純なギターリフ。子どもは母親に何度も何度も同じ絵本を読むことをお願いする。永遠の繰り返しは子どもの時間感覚であり、それは手放しの幸福感に満ちた世界だ。とある作家の父親も最も幸せな思い出を尋ねられて、買ったばかりの車で奥さんと家のまえをぐるぐる、ぐるぐるまわっていたときだと答えたそうだ(たしか)。だから、ベスト盤の3分に圧縮されたヴァージョンは駄目なのだ。ということで、『THE WORLD iS MiNE』をお買い求めください。ここで書いたようなくるり的ノスタルジーと、アルバムの統一感を損なうギリギリまで攻めた野心的な多様性、優しさと荒々しさに満ちた素晴らしいアルバムです。ファーストもいいよ。