『アメリカン・ビューティー』 6. 第二幕 - 反抗する中年2

失うものがない普通の男に戻ってさっぱりしたレスター。気持ちが晴れて食欲が出たらしく、ハンバーガー・ショップに直行する。おすすめを断って、big barn burger(デカい納屋バーガー)を注文する。気の大きくなったレスター・バーナムさんとかけてるんでしょう(burn ham → big barn burger)。でないと、こんなヘンテコな商品名にしないよ。

f:id:kilgoretrout:20151224132754p:plain
ドライブ・スルーで接客してくれる女性店員は「ミスター・スマイリーのバーガーショップでは笑顔を!(Smile, you're at Mr. Smiley's!)」、「スマイリーソースはいかがですか?」という、上から言わされている定型フレーズをうんざりしたような仏頂面で、つまり一切の笑顔なしで言う。彼女はそれに勤勉ではないが、これはまさに感情労働というやつだ。ここでも企業のつくりたい雰囲気としてのイメージと、現場での接客という現実が乖離を起こしている。もうひとつ、偶然だろうが打ってつけだと思わされたのはスマイリーというネーミング。どうしたってそれはスマイリー・フェイス(ニコちゃんマーク)を想起させる。Love & Peace、1970年まわりのフラワームーブメント、ロック、反抗の世界に、マリファナを吸いながらドライブスルーにすべり込み、レスターは回帰していく。

NOW TAKING APPLICATIONS!(バイト申し込み募集中)↑を目にした彼は注文ついでにアルバイト希望の用紙をもらい、あっさりと再就職する。「できるかぎり責任のない仕事を探してるんだ」。いかにもビジネスマンでございという容姿と経歴の男が突然バイトさせてくれと頼みにきた。店長らしき男はあっけにとられる。レスターはイメージの世界でのビジネスをやめて、食という肉体に直接かかわる労働を選ぶ。世間体(むしろ家族体)やキャリアというイメージを捨てたから、マック・ジョブに携わることになんの臆面もない。それにバーガー屋でのバイトは目のまえがまっさらな青春時代の思い出の日々なのだ。リッキーの部屋にて、マリファナでしこたま稼いでいる彼に過去のバーガー屋でのアルバイトを「最悪ですね(That sucks.)」と評されて、「いや、そうでもない。すばらしかったよ(No actually, it was great.)」と答えている。

この日キャロリンのほうでは町の不動産王、バディ・キングと浮気をして肉体関係になる。こちらも並行してフィジカルな世界に近づく。ここからレスター夫妻は自分たちをさらけ出すことに躊躇がなくなり、キャロリンが頭のなかから生み出した食卓、映画のセットのような意識の高い食卓は捨てられることになる。もうお互いに対する不満が隠されることもない。キャロリンはレスターの勝手な辞職に怒りまくるし(当たり前だ)、レスターはセックスレスについての不満を(娘のまえで)爆発させ(「ペニスをメイソン・ジャーに瓶詰めにされている!」)、席を立とうとする娘に「座ってろ!」と怒鳴り、人間として扱われていないとキャロリンを告発し、それでも反駁しようとする彼女に、アスパラガスの皿をこれ見よがしに壁にぶん投げて応える。

f:id:kilgoretrout:20151225185530p:plain

このシーンは本来床に落とすはずだったそうで、女性陣の驚きは素なのだそうだ。彼女たちが静まり返り、満足したレスターはこともなげに食事を続け、エレベーター・ミュージック(当たり障りのない、つまらないBGMを示す定型表現)への不満も欠かさず表明する。

余談。このシーンで思い出されるのはサリンジャー『愛らしき口もと目は緑』にて、尻軽の女房を持てあまし、日常的らしい不義理とその日の彼女の不在に追いつめられていて、こともあろうかリアルタイムの浮気相手に電話して相談しまう憐れな男、アーサーの言う「あいつに必要なのはね、図体のでっかい無口な男―新聞を読んでる最中に呼ばれでもしたら、のっそりとあいつのそばへ寄って行って物も言わずにはり倒す―それから戻って来て、読みかけの記事を黙ってしまいまで読み続ける―こういうのがあいつには必要なんだ」という台詞。もちろん女性に手を上げるなんて絶対に駄目ですが。

後日、レスターは手を上げるのではなく、「ふすまと夫婦喧嘩ははめれば直る」というあの下品きわまりない(が、いくぶんか真実を突いているだろう)フレーズそのまま、キャロリンに手を出そうとする。でもそれは切実なものだ。1970年製ポンティアック・ファイアーバードを勝手に買い、ビールを飲みながらラジコンで遊ぶ男の子・レスターだが、セックスも長いあいだ求めていた。「ジェーンはどこかしら」「ジェーンはいまいないよ」。アンジェラによって意気を取り戻したレスター同様、浮気をしているキャロリンは色っぽくなっている。「今日はきれいだね」でも(普段のきみは)「いつからそんなにjoyless(訳が難しい。無感動な、味気ない、素っ気ない、不貞腐れた、喜びのない、潤いのない)になってしまったんだい? かつてのお茶目だった女の子がいったいどうしたんだ?」とレスターは迫る。彼は青春時代へ立ち戻っている最中だから自然「あの頃を思い出せよ」の物言いになる。迫るレスター、応えるキャロリン。ソファのうえであと一歩というところでキャロリン「ソファにビールこぼしそうになってるわ」失望してのっそりと立ち上がるレスター「ただのソファじゃないか」「これはイタリアンシルクを張った4000ドルのソファなのよ。ただのソファじゃないわ」「ただのソファだ!(It’s just a couch!)」。先に書いたとおり、『ファイト・クラブ』と似たようなモノ礼賛批判だ。


「これは生活じゃない。これはただのモノだ。そしてきみにとって、それが生きることよりもっと大事になってしまってる。ねえ、イカれてるよ」。40万もするソファにビールがこぼれそうになっていたら誰でも怒る。しかし、たしかにキャロリンはモノと金に拘泥しすぎているきらいはある。欲望(エロス)がモノに向かっていることは否定できない。夕餉の食卓での大喧嘩の晩、キャロリンは娘を心配し、彼女の部屋になだめにいく。そこで、生意気な口をきく娘を引っぱたいて激しく叱る。正当な怒りではある。ただ、怒りにかられているので本音が出る。「あなたは感謝を知らない若造よ。あなたがもってるモノをごらんなさい。私はあなたの歳にはデュープレックス(二家族がひとつの家)に住んでたのに。自分の家さえなかったのよ(You ungrateful little brat. Just look at everything you have. When I was your age, I lived in a duplex. We didn't even have our own house.)」。この「ソファをめぐっての大喧嘩」と「母が娘を叱る」のふたつのコンフリクトはキャロリンとモノとの関係を表している。彼女が不動産業に携わっているのはこの家へのオブセッションからだと推測される。レスターからすこし離れて、彼女の精神性について掘り下げてみたい。