『アメリカン・ビューティー』 9. 第三幕 - 今日は残りの人生の最初の日で最後の日

レスター・バーナム氏の最後の一日のBGMはロックそのもののような一曲、The WhoのThe Seeker(「誰」というバンドの「探索者」という曲)ではじまる。

They call me The Seeker 人は俺をザ・シーカー(探索者)と呼ぶ
I've been searching low and high あらゆるところを探し続けてきた
I won't get to get what I'm after 探し物にたどり着くことはないだろう
Till the day I die 俺が死ぬその日まで

 例によってレスターの状況を表している。ただ、絶望的なザ・シーカー(探索者)であるレスターは「俺が死ぬ日」に「探し物」にたどり着く。これは最後に書きたい。ナレーションは「『今日は残りの人生の最初の日』ってポスターを覚えてるかい? まあね、それはすべての日にあてはまる。ある一日だけ別にして。それは死ぬ日だ。(Remember those posters that said, "Today is the first day of the rest of your life?" Well, that's true of every day except one. The day you die. )」Today is the first day...のフレーズは、リチャード・『かもめのジョナサン』・バックの『イリュージョン』にも登場する。ここからいろんなところに引かれるようになったと推察する。長いあいだネイティブ・アメリカン箴言かなんかと思っていたのだけど、ちょっと気になって検索してみた。リチャード・デートリッヒという名字が俳優っぽいアメリカの慈善家がつくったとのことで、この人物もその事業も暗黒的に興味深そうなのだけど、長くなるので割愛。

f:id:kilgoretrout:20151224153525p:plain
レスターはもうジョギングしても息があがらない。ワークアウトに馴染み、バーガー・ショップのアルバイトも板に付いている。二幕からそれなりに時間が経過したことがうかがえる。ただ、家庭での不和は相変わらず。娘のジェーンからは、アンジェラを酔っぱらったみたいにずっと見てるから家に呼べなかったと糾弾される。

この日、キャロリンは薔薇、アメリカン・ビューティーと同じ深紅の、気合いの入った衣装でめかしこんで朝から出かけている。見せる相手は不動産の王、バディ・ケイン。逢瀬のあと「運動」しておなかがすいたと彼女が車を向かわせるのはレスターがパティを焼いているハンバーガー・ショップ。そこで夫と妻+間男が偶然、鉢合わせするコメディとなるわけだが、この展開はハプニングのおもしろさだけで成立しているシーンというわけでもないような気がする。『アイアンマン』で、超弩級の大金持ち、兵器開発会社社長にして天才かつハスラーたるトニー・スターク(ロバート・ダウニー・ジュニア)が、絶体絶命の敵地から艱難辛苦の末に脱出して真っ先に、他の何事をも差し置いて所望するのはチーズバーガーだ(I want an American cheeseburger...Cheeseburger first!)。

f:id:kilgoretrout:20151224154558p:plain

ポール・オースター『偶然の音楽』で、宝くじで大金持ちになったどこか幼児的な、文化資本については心許ない成金ふたりが、ご馳走を期待していた主人公たちに豪邸で振る舞うのは皿に置かれたハンバーガーだ。M・ナイト・シャマラン『サイン』でグラハム(メル・ギブソン)が最後の晩餐に選ぶのはベーコン・チーズバーガーだ。『パルプ・フィクション』でせっかくヨーロッパで見聞してきたのに、ヴィンセント・ベガ(ジョン・トラボルタ)が詳しく語るのも結局チーズ・バーガーだ。夫婦それぞれにイメージを捨て、似非貴族のお高くとまった食卓を捨て、ともに本性を現したあとで腹が減ったとレスターとキャロリンがそれぞれに吸い込まれるように向かってしまうのは、どうしたって元も子もない、即物的な、まるで食欲と等価交換であるようなアメリカン・ハンバーガーなのだ。

f:id:kilgoretrout:20151224155122p:plain
レスターは、ばつのわるそうなふたりのまえで堂々と振る舞う。「スマイリー・ソースはいかがですか?」という、事務的であるがゆえに高い破壊力をもつ問い(残酷な会話形式は1. 事務的、2. 答えられない質問)にキャロリンは「やめて」と言う。レスターは「もうあれこれ僕に指図することはないんだよ。二度とね」と宣告し、ハンバーガーを差し出す。これが夫婦の最後の会話でとなる。不倫が明白かつ現在形式で夫に露見してしまったキャロリンは、モーテルの駐車場でバディとの不倫関係を解消する。人生を過って、行き場を失った彼女は車中で泣きながら絶叫する。絶叫はFreeの「All Right Now」と重なり、全然オールライトじゃないままに映画は佳境に入っていく。

クライマックスにふさわしく、ここから一気に複数の潜在的なコンフリクト(葛藤/衝突/対立)の導火線が燃え尽きて、爆発していく。数え方にもよるが、「レスターとキャロリン」、「ジェーンとアンジェラ」、「リッキーとフランク」、そして、「フランク自身」の四つ。

「レスターとジェーン」のさらなる悲劇的顛末、要は娘による父親の殺害は可能性としてはあったものの、結局オミットされたらしい。脚本の他のヴァージョンでは、冒頭のジェーン「(お父さんを)殺してくれる?」がリッキーとともに実行されるという展開だったとのこと。その名残り(と観客の関心を誘うためのフック)としてアバンタイトルで父親殺害を匂わせるシーンが使われているのだと思われる。採用バージョンでは、レスターとジェーンの対立は、ジェーンが不満をくすぶらせ続け、最終日の朝にせいぜい「鼻の下を伸ばさないで!」と糾弾する程度にとどまっている。「レスターとキャロリン」については粗方語ったが、レスターをメインに再度後段で取り上げる。以降しばらくは、他のメンバーを注視してみる(Look closer.)。