『アメリカン・ビューティー』 18. 構成再び - 霊レスター

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最後のまとめに入るまえに、この映画の構成の妙について書いておきたい。先にも書いたが、『アメリカン・ビューティー』の場合は以下のように明確に区切られる。

アバンタイトル(00:25〜01:01)】
【タイトル(01:01〜01:05)】
【一幕め(01:06〜44:14。43分8秒)】
【二幕め(44:15〜79:54。35分39秒)】
【三幕め(79:55 〜108:17。28分22秒)】
【アウトロダクション(108:18〜)】

映画の本編について、一〜三幕めの最初はすべてバーナム家のまえの街路(ロビンフッド通り)の空撮にBGMつきでレスターのナレーション(ボイスオーバー)が入る。ために、構成が明確でわかりやすい。というか、同じ演出によって区切りが明瞭に判別できる。一幕めの空撮の視点は地上に降りていくもので、映画の最後ではその視点が上がっていって締めとなる。ここからわかるのは、この映画が霊・レスターの再体験であるということだ。

一幕めの最初では空撮の視点は地上のほうに近づいていく。そして眠っているレスターが映される。要は幽体離脱状態だ。ボディ・レスターに霊・レスターが入り込んで自分がなぜ死ぬはめになったかを見きわめはじめる、とも解釈できる。靴を履くクロース・アップのカットは、わざわざベッドの下から撮っていてちょっと凝っている。気怠い一日にまた足を踏み出さないといけないというニュアンスであることは確かだが、霊が地上に降りてきて身体を取り戻して行動しはじめるというふうに見るとおもしろい。こういった表現は別に珍しくないように思う。天使が堕ちてくる話型。「天から地」のカットは必要だ。

二幕、三幕は一幕からの間欠的連続だから空撮の視点が昇降することはない。アウトロダクションの空撮の視点が上がっていくのは、亡くなったレスターの昇天を意味しているとしか考えられない。殺されて霊となったレスターが、人生の終わりのほうで印象的だった転機の時季にスポットを当てながら再体験(回想)している映画、それが『アメリカン・ビューティー』だ。『サンセット大通り』も同じ体の映画だが、『アメリカン・ビューティー』は演出と構成によってそれが際立っている。霊となったレスターが区切りをつけながら、無駄を省き、編集して構成した自分の人生=『アメリカン・ビューティー』とも言える。これは映画がそもそもどういうものなのかということも表す。もちろんレスターのいないところでひとは動き、事が運んでいるわけだから、あくまで象徴的な意味合いということではある。