『アメリカン・ビューティー』 15. 名づけ - ふたりのジム

この映画のおもしろさのひとつに「名づけ」がある。そのいくつかはすでに示したがキャラが出そろったところでまとめてみたい。裏をとったわけでもないので仮説だし、トンデモかもしれない。こじつけかもしれない。脚本家のアラン・ボールはHahaha, you fool! と笑うかもしれない。ただ、製作者が命名に意識的であることは、アンジェラの名字ヘイズを『ロリータ』の本名ドロレス・ヘイズと共通させているところ、キャロリンという名前を1994年の『The Ref』という郊外を描いた映画(日本未公開)でアネット・ベニング(キャロリン・バーナム役)が演じた「Carolyn Chasseur」からとっているというところから明らかであるように思われる。そもそも文芸(映画の脚本だってそうだ)ってのはそういう細工を含んでいるし、意識的な作家ほど名前を適当につけることができない(このくびきから逃れるために意識して無意識的に名前をつけたりさえする)。『ゴドーを待ちながら』の登場しない人物はゴドーでなければならない。これはわかりやすい。しかし、『罪と罰』のラスコーリニコフ、ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフ(Родион Романович Раскольников)のイニシャルはPPPでこれは天地を逆さにすると悪魔の数字666になるって知ってました? 江川卓(ピッチャーじゃないですよ。高名なロシア文学者で翻訳家のほう)が『謎解き『罪と罰』』で書いてた。トンデモくさいが、ドストエフスキーの諸作品についての解説を読むとそうに違いないと思えてくる。まあ、遊びということで。

レスター(Lester)はless(より少ない、小さい)を連想させる。-lessは「欠けている」を意味する接尾辞でもある。こちらの意味が強いかもしれない。-sterは「〜のひと」。いまや小さくなってしまった、なにかを失ってしまっている、何かが足りてない男(I have lost something.)。キャロリンは上述したとおり、アメリカ郊外映画『The Ref』(日本では未流通)の同型役から。ジェーンという最もありふれた名前はアメリカ娘の典型を思わせる(Janie’s a pretty typical teenager.というレスターの発言がある。そうも思えないのだが)。彼らの名字、Burnhamのburnは「焦げた」、ham(ハム)は「大根役者」を意味する。すでに家族のそれぞれがその役割(役割演技)をまっとうできなくなっていることの暗示と考えられる。この映画全体がburnhamたちの話でもある。

アンジェラ(Angela)はレスターにとっての天使だからそのまま。実は処女という含意も想定される。天使はイノセントで基本的に性別さえない。名字のヘイズ(Hayes)は『ナボコフ』のロリータの本名ドロレス・ヘイズ(Dolores Haze)から。ポール・オースター『偶然の音楽』によると、ドロレスという名前はどうも洒脱でない感じ、イマイチ感を覚えさせる名前だそうで、この小説に登場する娼婦はティファニーという源氏名を使っている(ドロレスさん、ごめんなさい)。でも、たしかにドリー(ドロレス)なんとかって女優とかあんましいない気がする。ナボコフがロリータに対してドロレスという本名を与えているのは、少女妖婦(ニンフ)も実のところ平凡な娘にすぎないという含みをもたせているからであるように思われる。アンジェラは本名だが、身の丈よりよいイメージをまとっていることを示すため、大きめの、too muchな名前を与えられているという部分もあるのではないか。

フランク・フィッツ(Frank Fitts)も上述したとおり、「率直な、腹蔵のない・(現実と)調和した」という実際の人物像と矛盾した名前それ自体が、彼の現実との背反を表している。リッキー(Ricky)はようわかりませんなのだが、こじつけるとすれば、父フランクが雄々しい男になることを望んだから、あるいは実は父以上に男らしいから。さらなるこじつけで言えば苦しいがTRicky。バーバラ(Barbara)は幽閉された聖女バーバラから。これはたぶん間違いない。

ゲイのカップル、ジム・オールメイヤー(Jim Olmeyer)、ジム・バークレー(Jim Berkley)の、双子のように仲のよいふたりのジム。「オールメイヤー」は、ジョゼフ・コンラッドの『オールメイヤーの阿房宮(Almayer’s Folly)』からと推察される。この作品のオールメイヤーは異人のなかで浮いている白人で(ということは彼が異人ということだ)、差別される立場という点が共通している。つづりはOlmeyerとAlmayerで異なるが、そもそもコンラッドがまさに『ロード・ジム(Lord Jim)』を書いていることから関連はほぼ間違いない。Berkleyについてはこれもこじつけだが。

 トニー・スタークは幼い頃から発明の天才で、父の後を継いで兵器産業の経営者になってからアメリカ軍のために日夜、最新兵器を開発している。
「スタークさん、あなたは現代のレオナルド・ダ・ヴィンチと評判ですが」
 女性記者がマイクを向ける。
「『死の商人』とも呼ばれていることについてどう思いますか?」
「君はバークレー出身か?」
 映画『アイアンマン』の観客は爆笑した。ここは反戦リベラルの牙城、バークレー大学正門前の映画館だから。
町山智弘『キャプテン・アメリカはなぜ死んだか』P.281「アイアンマンは一人軍産複合体

カリフォルニア州のサンフランシスコ、ベイエリア内バークレー(Berkeley。こちらも微妙につづりが変えてある)、ここはアメリカで最もリベラルだ。リベラルであるということは性的マイノリティーについても寛容(というのもおかしな話だが)ということで、LGBTも当地に集まる。ニコニコと仲がよく、ベターハーフどうしといった感じで(この映画で実は唯一、というか唯二)幸せそうに暮らしているふたりのジム。『ロード・ジム』は白人の青年が自らのスティグマをさとられぬよう各地を漂泊し続ける話。彼らの名前からも、この映画の欠くべからざる要素である(被)差別・迫害のにおいが発している。